荒木信雄さん『社会もグラデーション』

遊びをテーマにした企画展「Play展vol.2-全ては遊びである・何一つ遊びではない」関連事業として、建築家荒木信雄さんにお越し頂きました。PLAYトーク「遊びのある ⇄ ないかたち」と題し、余白のある空間づくりなど自身の仕事やキャリアについてお話し頂きました。講演後に、美術館や地域、そして社会についてお話しを伺いました。

——高浜市やかわら美術館に初めてお越し頂きました。三州瓦はいかがでしたか。

(荒木信雄さん・以下略)欲しくなりましたね、瓦。建築家ですから(笑)やっぱり。敷瓦(しきがわら)は欲しいなって思いました。

——かわら美術館ですので三州瓦を1階と3階で常設していますが、企画展では写真や絵画など美術品の展覧会も開催しています。当館の印象をお聞かせください。

内井さん(※1)らしい建物で、良いなあと思いました。
瓦の展示は重要だと思います。地域の資産を地域でアーカイブするだけで説得力がありますよね。収集だけではなく、産地で残す。所有の説得力があります。

——今回は、遊びをテーマとした企画展『Play展-全ては遊びである・何一つ遊びではない』の関連事業としてお越し頂いたので、瓦と現代アートが混在する中でお話し頂きました。ご講演では、「自分にない世界を感じたとき、人の心が動く」と仰っていました。美術館として、ご来館頂いた方に自分にない世界を感じて頂く機会をどれだけ提供できるか、重要だと思っています。

美術館は、アーティストやその作品を目的に行くこともあれば、偶発的な出会いもある場です。「自分にない世界を・・・」というその言葉自体は記憶にないのですが、Play展で観た作品からは無作為というか、ピュアな瞬間というか、自分にないものがある、と感じました。羨ましいような。3

荒木信雄さん『社会もグラデーション』 - 高浜市かわら美術館

——講演を聞いた学生からは “建物も使い手がいるから建てる意味があると考え直すことができた” という意見がありました。街の小さな美術館の意義(何のために、誰のために美術館があるべきか)を考える言葉です。

僕の場合、建築が先ではなく、ひとが先、です。使い手の意志で(建物の)寿命が決まります。期間限定の表現としての建築。今は、目的のある人もない人も包括する場 ― プラットフォームをつくることに興味があります。時代的にも世代的にも。
かわら美術館の意義。瓦アーカイブがありながらも、地域の人々が集まる公園のようなプラットフォームとして美術館があるなら、アートの文脈と瓦を希薄にせず、発想のポイントを変えて、地域性やコミュニケーションがある場にならないとダメですよね。
それこそ博物学的(※2)にあるように、瓦をどうアーカイブするか、料理するか。瓦でどう人を集めるか。まあ、人が来なくても良いけれど、地域の子どもに瓦をどう見せるかは大切ですよね。1000人にひとりでも瓦に興味を持ってもらえればね。博物館学の切り取り方、ホワイトキューブ(※3)のような開くアクティビティが必要かもしれません。

荒木信雄さん『社会もグラデーション』 - 高浜市かわら美術館

——ありがとうございます。地域のプラットフォームとしての美術館は、私たちが目指す姿です。地域には様々な人がいます。市外・県外はもちろん、海外からの移住者も多く、アートが届かない人にアートを届けたいと考えています。地域社会が閉鎖的にならないようにアートの可能性を広げていきたいと考えています。

社会は変わります。ルールも変わる。“障がい”も社会的な基準や定義はあるのかもしれないけど、人はそれぞれ違いますよね。少数派だから見える景色もあります。例えば、冒険家がなぜ寒い雪山に登るのか。クリエイティブと破壊行為。人のやらないことをやる・同じことをやっても意味がないということこそがクリエーションの根源だと思います。健常と障がいがグラデーションであるように、社会もグラデーションであると思います。

(※1)内井昭蔵氏 かわら美術館を設計した日本を代表する建築家の一人。
(※2)展示品、収集品を充実させ、意味のあるものに発展させていくかについて研究、活動する手立て
(※3)近代以降、美術作品の展示空間に見られる白い立方体(ホワイト・キューブ)の空間的特性を指していう概念。